南北首脳会談

南北首脳会談とエディプスコンプレックス

今回の南北首脳会談、午前中は事務所で生中継を見ていた。注目されたのはやはり金正恩。少し前に中国で遅れた外交デビューを果たす。彼は北朝鮮の指導者となった後も長らく中国にすら訪問することはなかった。果たしてどのような人物であるのか、朝鮮中央放送で映し出される姿や声、経歴、軍事外交戦略などから彼のパーソナリティーに対する様々な憶測が飛ぶ。

彼が板門店北朝鮮側の建物である板門閣からいかつい警備要員に守られて登場した。韓国の文大統領の待つ、軍事境界線に近づいたところで、警備要員は離れ、金正恩単独で南に向かって歩いて来た。そして軍事境界線をまたいで両者が握手を交わす光景、見られた方も多いはずだ。

謎のパーソナリティー

北朝鮮で指導者をどのように賛美しているかは、韓国の北に関連する報道番組でしばしば登場する朝鮮中央放送を見ていたので何となく認識していた。若くして指導者になった理由もあり、取り立てて彼の指導力を強調しないわけにいかない事情が伺えるような、朝鮮中央放送の金正恩に対する報道、評価。特には「度胸がある」といったニュアンスを強調する。事実は果たしてどうなのか?

粛清の嵐を引き起こした彼は、一般に我々が独裁者に抱くような幼くエキセントリックなパーソナリティの持ち主なのだろうか?全ては謎に包まれている。

そんな中で、今回彼が見せた言動で、韓国では先入観との乖離した姿によって、肯定的な見方が生まれているようである。この現象は、金大中大統領が平壌訪問時に金正日が見せた言動に対する反応にも似ている。想像以上に話が上手く、常識的であったのだ。が、果たしてどうなのだろうか?

私の印象は、金正恩も確かに良識的でアドリブ力のある会話ができる人物であると見た。全く緊張した様子もない。わずか30代にも関わらずだ。良識的な側面は、おそらくスイス留学などの経験と、それらの経験で得てきた教養に根ざしていると思われる。しかしその裏には血の粛清を躊躇なく行って来たという側面もあり、確かに堂々としているのだ。

父殺しのテーゼ

スターウォーズや、そのモチーフとなったギリシャ神話、そこでは「父殺し」というテーマが描かれている。息子が父を殺すことで独立した自我を獲得する(成長する)ということが直接的なり間接的・象徴的にストーリーに組み込まれているという話だ。

実は金正日が父である金日成を殺害したのではないかという説がある。同じように金正恩が父である金正日を殺害したのではないかという説も存在する。真偽はともかく、実際には叔父である張成沢を処刑し、異母兄である金正男を暗殺したのは事実である。少なくとも象徴的な父殺しである。そしてこの代価により金正恩は「独立した自我」というよりは「独裁者としての狂気」を手に入れた。

国家指導者は、軍の最高統帥者である。故に間接的であるにせよ人を殺すこと権力を持つことになる。同時にその権力は行使されなければ、残念ながら今日の国家運営は行うことができない。ロシアのプーチンは何人も殺したという。習近平も少数民族弾圧を行っている。トランプもその習近平の目の前でシリアにトマホークを打ち込んだ。オバマのように躊躇しては、時としてより多くの犠牲と不幸が生まれることもある。文在寅にしても、前職大統領を力で引きづり降ろし、投獄するということは象徴的父殺しと見做すことができる。笑顔の裏には、反対する世界観の政治家を血祭りにすることも厭わない政治家としての側面はしっかりと持っているのである。こうしたことを見ると国家指導者には、良識と狂気の両面を持ち合わせなければ、その地位に着き、その責務を果たすことができないと言う事が出来る。

世襲によって若くして選ばれた共産国家の独裁者である金正恩も若い年齢で良識と狂気を得なければならないために「父殺し」という極端な手段により国家指導者になると何処かの時点で決断したのではなかろうか?

独裁者の坊ちゃんで単純にエキセントリックなパーソナリティーとなったのではなく、ある種、確信犯的にロジカルに獲得したものだとするなら、彼は一体、主体思想という共産主義国家を永続させる夢を見ているのか、あるいは自由資本主義体制に何処かでソフトランディングさせる策士なのか、反米思想で民族の自主独立にこだわる民族主義者なのか?それとも自身の生き残りを最優先させようとする典型的な独裁者なのか、それとも理性的で合理的な解を求めて未だ彷徨っているのかといった彼の持つ世界観が重要になってくる。共産主義の実験には既に破れた北朝鮮という失敗国家をどうしたいのかということだ。

善人なのか悪人なのか?

こうして見ると国家指導者が善人なのか悪人なのかという分類はあまり意味をなさないようだ。国家レベルでは、単純に個人レベルの善と悪の物差しを当てる事ができない。

「金正恩が善人のようなので、信じるに値する」とかは無駄な言説に過ぎない。

しかし民主主義国家では、国家指導者を個人レベルの善悪基準である程度裁く事が可能である。また共産主義・社会主義国家では、なかなかそうはいかないので、民主主義陣営からは一筋縄ではいかない交渉の相手である帝国の悪の皇帝のような人物が国会指導者として現れてくる。個人的に会えば良識的であったとしても、彼らは現代の皇帝としての資質を獲得している。

彼らがエキセントリックでないのであれば、ロシアであれ中国であれ、そして北朝鮮の金正恩であれ、どのような一貫した世界観を持っているのかによって戦略は決まってくるであろうし、それに対峙することも交渉することも可能になってくるはずなのだ。彼らは、日常でいういい人であることなど、血も涙も一緒に既に捨てているからだ。

 

 

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