韓国の討論番組

韓国でも「朝生」みたいなテレビ番組あるの?

たまに日本に帰った時に、たまーにですが「朝まで生テレビ!」を見るときがあります。最初から見ようという感じで見るわけではなくて、チャンネルを回した時に気になって見入ってしまうみたいな感じです。なんか見ちゃうみたいな、です。

でも逆に見ていてもイライラしてきて、見る気をなくすっていうこともあったような。討論番組なのですが、激論とか暴論と言ったらいいのか、ちょっと噛み合わなすぎる、投げやり的議論になってしまうことがあり、それを見ていると不快感・失望感を抱くこともあったりで、チャンネル回してしまうこともあった記憶があります。(ちょっと敏感な反応かもしれませんが)いや、眠くなっただけだったかもです。(実は、よく覚えていない)

で、本日のお題は韓国にも「朝生」のような番組があるのかということで、つまりここでは韓国の討論番組ってどうよ?ってことで、雑感を書いてみたいと思います。

というのは、実はテレビを見ていた韓国の討論番組に驚いたんです。

地上波の討論番組を見て失望

私は韓国の討論番組はダメだなという意見の持ち主でした。かつて地上波放送であるKBSやMBCでやっていた討論番組を見たりしたものですが私の印象は、

  1. 自分の言いたいことを言うだけ
  2. 相手の意見はまるで聞かない
  3. 結局、なんら建設的議論にならず、様々な意見の紹介に終わる

普段からも韓国人の議論は(議論に限ってですが)相手の意見を取り入れて調整するような建設的なものではなく、どうでもいいことまで一方的な感じがしていましたから、「まあ、日本人が特別なのかな」くらいに思っていました。しかしそんな感じで進行されるテレビの討論番組は、見てても虚しいだけって感じで私の中では完全にバツでした。

新鋭討論番組はバラエティー?

ところが…

昨日ケーブルテレビのチャンネルを回していると討論番組をやっていました。今に知ったことではありませんが、ケーブル局では地上波でやっていたフォーマットと違う形の討論番組がやっていました。地上波では、大きなスタジオに傍聴客を入れて(私も傍聴客になったことがある)MCがカリスマで仕切る、みたいなお行儀のいい、ある意味議論の展望が製作陣からはちゃんと予測できる、そんなスタイルでした。

ところがケーブル局の討論番組のスタイルは、

  1. 小さなスタジオに黒などの単色背景にテーブルと椅子だけの極めてシンプルなセット
  2. 傍聴客はいない
  3. 討論が割とガチンコ

テレビ局のサイトを見ると、教養のカテゴリーではなく、芸能すなわちバラエティー枠になっています。あくまでも娯楽ということなのですが、パネラー出演者は(元)政治家、弁護士、大学教授などで、娯楽枠とはいえ、韓国では威厳と質の高い弁論力を持った人たちですから、ストロングスタイルの討論となるのです。

字幕が入るのは、やはりバラエティー枠だからなのでしょう。ケーブルの3局が上記のように類似したフォーマットでバラエティーストロングスタイル討論番組をやっていて、私が昨晩ちょろっと見たのは三つの写真の一番上である「外部者たち」というチャンネルAというケーブル局でやっている番組です。本当にちょろっとだけ見ました。

ちょろっと見て何がどうで、どう驚いたのか?なのですが、見た感じは…

  1. 保守と進歩陣営に別れて、かなり熾烈な討論をしていた
  2. 聞いている人がどちらの主張に妥当性があるのか分かるような反論の応酬になっていた
  3. 独善的主張にならず両陣営説得力のある主張を繰り広げていた
  4. アドリブであれだけ材料を準備してロジカルに喋れるならむちゃくちゃ頭いい!

説得力ある反論にも、押されないメンタルも凄い人たちでしたし、まさにこれぞディベートって感じでした。最近のこういう人たちはディベートの訓練がされているのでしょうか?

まあそういったディベートの能力の異常な高さにも驚いたのですが、最後に極め付けに驚いたのは、さっきまであれほど、政治的な立場をかけて熾烈なディベートを繰り広げていたパネラーたちが、最後は笑って「楽しい番組だ」と仲良く笑談して終わっていたことです。

これは全くダメダメじゃないでしょ。日本の討論番組より上いってるんじゃないかと思ってしまいました。本当にこれまで大変失礼しましたって気持ちになってしまいました。

日本人は討論に向かないのか?

韓国語は日本語と同じ語順です。だから、話すそのままの順序で訳し上げていけば、ある程度ちゃんとした日本語になってしまいます。ところが韓国人と日本人の商談を通訳している現場で感じることは、韓国人の発話の方がしっかり文法に沿っていて、かつ内容も論理的でセンテンスの中での展開が予想しやすいので、訳しやすいんです。訳しやすいというのは、話の途中で訳し始めても論理が破綻しないから安心ということです。

その反面、日本人の話は概して、曖昧で感覚的な表現を多用したり、最後まで肯定か否定がの展開が読みづらいために訳しづらいということがあります。訳しづらいというのは、まず曖昧な表現はそのまま曖昧なまま訳すわけにもいかなく困り、どう展開するか分からないので、全部聴き終わってからでないと訳せないということです。

皆さんがそうではありませんが、日本語の表現はロジカルではない感覚的な慣用句を使って、解釈の幅を残すような、つまりは婉曲な主張をする習慣があるようで、なかなか通訳者泣かせな言語なのではないでしょうか?

裏を返せば日本人にとって本音でズバリは、しこりが残り過ぎるので、論理的表現だとか討論だとかに向かないのかもしれません。言語がどうとかより、個よりも共同体を強調しすぎる文化の産物なのかもしれませんね。

だからと言って韓国は本音ズバリだけではありません。相手への配慮もしっかりとロジカルな言語に乗せて話すので、誰もがとにかくしっかりと話す、語ることが身についているようです。

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