韓国と韓国語

韓国語学習と通訳で思うこと

最近、韓国語学習者がめっきり増えたようだ。KPOPや韓流ドラマの影響。
外国語苦手の自分だったが、KPOP・韓流ドラマファンの人たちと同じような気持ちで言葉に接しているのだと思う。

心が伝わるの?

私にとっても韓国語はやはり外国語。バイリンガルの人の感覚とも違う、違和感が存在する。その聞いていて違和感がある言葉の壁を超えて、果たして心が通じるのだろうか?溶け合うような心の共感が生まれるのだろうか?という疑問と挑戦が私の韓国語学習の根底にあった。

ドラマを見てファンになった人も、憧れる俳優さんの言葉とストレートに共感したい、そんな素朴な素朴な思いから韓国語学習の道に入ったんじゃないかなぁ。そして立ちはだかる違和感の壁。

違和感の壁の原因は、発音だったり抑揚だったり、時として発想やロジック・話の構造の差もあるかもしれない。関西人の話の構造は、最後にオチを持ってこなければならなかったりする。話は楽しむもの、笑いを共有するものという構造がある。関西人が笑いにこだわるのは、人生における語り・話の意味合いだとも言えるほどだ。韓国人にとっても人生や社会における話・語りに日本人とは別の意味合いを強く持つのかもしれない。だから愛想よく語ることは少ないし、非常に理路整然としていて、個人においても公式的対外的語りを重要視し、得意なように見える。

うまた人間関係の捉え方の違いが、話や語りへの違いとなり、私たち学習者にとって新たな立ちはだかる壁となる。

韓流ドラマがもたらしたもの

そんな壁をロジカルに超えていくのは、少々しんどいし面倒臭い。でも韓流ドラマは、感覚的に違和感の壁を崩していける。ベタなストーリーで、ちょっと非日常的で(往往にしてドラマとはそういうものだ)、そんな話に引き込まれながら、共感と違和感の波を渡っていくような、そんな感じ。

共感は所詮違和感を前提としている。違和感があるから共感したい、人間はそういう生き物だ。違和感と共感の両者があるから面白い。そういう風に思えるのもドラマを楽しむというアプローチならでは。教科書をいきなり開いて勉強となると、壁に弱い人間になってしまうのだ

違和感があって共感が生まれて楽しく嬉しい。両方を楽しめる心もまた必要なのだ。

それでやっぱり心は通じるのか?

私は経験から、心が通じる瞬間があるのは理解できる。ずーとは難しいが、そういう瞬間があればいいと思っている。所詮人間は孤独なのだ。同じ言語を話す集団の中にいたとて、周りに人と心が通じるわけでもない。(母国語話者との会話の安心感は大きいのだが)

まあ、そういうことで通訳時に私がチャレンジしているのは、錯覚でいいから通訳を介しての話なのに心が通じてしまったとクライアントに思わせること。意味や要件の伝達だけでなく、気持ちの共感が成立させること。簡単にはできませんが、違和感の中で共感する喜びを伝えたいと思う。

そして韓国語を学んでいる人たちも時々垣間見える共感の喜びを刺激にして、学んでいってほしいと思う。心は通じるのだから。

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