韓国でプレゼン

100のことを言うのに200という韓国人

産経のネット記事でタイトルの内容がありました。反対に日本人は100のことを言うのに50と言って、残り50は分かってくれと思う…と。

なるほど、そういう経験が私にも有りました。なので、これは日韓のコミュニケーションにおいて、心得ておく必要がありそうです。

100%と言わないことの二つの意味

ある時、韓国人何人かの前で日本人技術者の商品プレゼンがありました。ただ、の企業に出向いて技術担当者を前に行ったわけではありません。技術者同士の話ではない状況でのプレゼンです。

韓国人側から質問がありました。

「100%できるか?」

日本人の技術者(しかも社長です)は答えました。

「100%…とは言い切れません」

すると韓国人側はざわつきました。
仲介する韓国人から「ここでは100%と言ってくれ」と慌てて通訳する私に囁いてきました。

これは一体どういうことでしょか?実はとても興味深い状況だと言えます。

日本人なら技術者が科学的知見を持って100%という表現は使わないものです。たとえ商売をしたい社長という立場であっても、技術者の良心を見せる方が信頼につながり結局はビジネスが上手くいくと考えるからです。

ところが韓国人は逆に考えました。「彼は商品に自信を持っていないんではないか?」と。100%は客観的な文字通りの100%というよりは「自信がある」というレトリックだと見なしていたというわけです。

語順が同じ、同じ漢字語を使う二つの言葉だからといって油断してはいけない事例ですし、下手をすれば大きな誤解が生まれやすい場面です。

どうして国によって解釈が違うのか?

幸い、日本人の社長兼技術者の方は海外経験も豊富な方だったので、「ああ、そうなの」と笑いながら「100%自信がありますよ」と言い直してくれました。そして日本人はそういう表現を使うのだとも説明をしました。

ここで解釈の違いがどうして生まれたのか考えてみます。

韓国の人に科学的思考のマインドが足らなかったのでしょうか?
確かに全く外れているとは言えません。
同年代の韓国人男性がある日、「電流はプラスからマイナスに流れると教わるが、本当は電子がマイナスからプラス側に移動しているらしいんだ。知っていたか?」と突然誇らしげに言ってきました。
私は苦笑いしましたが、考えてみると彼らが学校で学んだ時期の経済的状況が日本と韓国では違っていたわけです。

日本も1945年の敗戦の荒廃の中から国家・社会を立て直してきました。しかし韓国はもっと悲惨で1953年から朝鮮戦争で焦土化した国を立て直してきました。朴正煕がクーデターで軍事政権を樹立して、彼が知ったことは韓国がアフリカの国より貧しい国に転落していたという事実です。

私の幼い頃は子供ながらに学研の科学と学習なんていう学習雑誌を購読してもらえる経済的余裕がありました。韓国は当時皆が学校にお弁当を持っていける余裕もなかったと聞いています。そういった環境で形成される思考の枠組みや世界観や人生観、当然違ってくるのでしょう。私の考え方が韓国で理解されないことなど、本当によくあることです。

これは一つの要素ですが、合わせていうとこういう違いがまさに文化であり、共同体がそれぞれ言葉ののみならず考え方の枠組みや社会的価値観を無意識のうちに共有しているのです。

科学的思考のマインドの違いというのはあくまでも私の仮説です。実はそういう問題ではなく、その場で韓国の人は単純に科学的事実を知りたかっただけではなく、ビジネスとしての自信感を言葉から読み取ることがより重要だという思考の枠組みを皆が持っていたのかもしれません。(韓国の中で語りを通じて自信を示すということが人間関係形成において結構重要に考えられているのも事実です。関西では語りにエンタメ性を求めるのと同じように、違いがあります。)

どちらにしても人間には共同体によって、上で言う文化の違いがありそれぞれの文化コードを持っていることになります。いいとか悪いとかではなく、です。

文化の違いというものがあるのが当たり前

文化というと普通一般には社会学的文化が想起されるようで、いわゆるライフスタイルとか、伝統文化とか、「この街には本屋や映画館がないから文化がない」という表現で使われれるような意味ですね。

文化人類学で使う文化概念は、上の事例であったような考え方・伝え方などに広がりを見せます。人類学者ごとに文化の定義が違ったりするほどややこしいのですが、「文化はコミュニケーションだ」という風な視点も普通にあるのです。

人類学的な文化でみると共同体ごとに考え方や伝え方という文化の違いが存在するのが当然です。文化のコードが違うわけです。ですから単純な機械的な通訳・翻訳だけでは相手の考えが分からず、こちらの意図を十分に伝えることができません。そうなると文化の翻訳・通訳が必要になってきます。

ビジネスにおいては、しっかりとコミュニケーションが取れることが大切なわけです。意図しない誤解が生まれ信頼が壊れるのは全く望むところではありません。

そこで私の通訳を考えてみるときに、どこまで文化の通訳が出来ているだろうか、そんなことが果たして可能だろうかと、なります。難しい課題です。文化の違いだけでなく相手に悪意がある場合も少なくとも可能性を見抜いておかなければ、いいコミュニケーションにはならないので、これも難しいところです。

通訳者はビジネス当事者に対して第三者という立場ですから、逆にその立場を使って積極的に調整役に回らなくては難しそうなコミュニケーションがうまくいかないこともあります。あまりやり過ぎると私自身が不穏な動きをしていると誤解されることもあり、誠意の示し方が上手くなければこれも難しかったりします。

政治など複雑な要素が絡み合うと、これは喧嘩になりかねないのも十分分かります。そうなると前述した社長のようにいつも明るく笑って言い直せるくらいの度量やマインドが結局はどの国であろうがコミュニケーションの最重要要素なんだろうなと考える日々です。

常に明るく話しましょう。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です